その他編

トップページへ戻る

Meijer's Schoenhandel (Amsterdam - Netherlands)
P.C.Hooftstraat 45
Tel.020-664 33 55
www.meijersschoenen.com e-mail:info@meijersschoenen.com

オランダというと皆さんいかなるイメージをお持ちでしょうか。
チューリップ、風車、チーズ、デルフト焼・・・・これは初心者の方のイメージです。
飾り窓、コーヒー・ショップ、レム・コールハース・・・・これは中級者の方です。
ヘーシンク、ルスカ、格闘大国・・・・これはマニアの方です。
いずれにせよ、ファッションとは縁のない国のイメージが強いと思います。
靴は靴でも木靴が伝統工芸品です。
そんなオランダですが、首都アムステルダムは仕事で訪れる機会の多い都市です。それは日系企業の多くが欧州本社をこの地に構えているからです。ホテルオークラや明治屋など、日本人には馴染みの老舗も営業しています。
買物バカの僕にとって出張の楽しみの一つは、言うまでもなくショッピングなのですが、ことアムスに関しては、日本の食材や書籍類を買うに留まります。何しろ購買欲をそそる物がないのです。ダイヤモンドが有名ですが、まさかねぇ。
それで空いた時間をどう過ごすかというと、これはもう絵画鑑賞という事になります。レンブラントやフェルメールをはじめオランダ絵画を多く収蔵する国立博物館に、ゴッホの生涯にわたる作品が鑑賞できるゴッホ美術館、モダン・アートが好きな方には市立近代美術館があります。
これらの美術館は一つの場所に密集しており、そのすぐ近くにPCホーフト通りがあります。欧州の主な街には大体、高級ブランド店が軒を並べる代表的な通りがあります。ミラノのモンテナポレオーネ、ローマのコンドッティ、ロンドンのボンド・ストリート、パリのサントノレ、ブラッセルのレジャン大通り、フランクフルトのゲーテ通りに、ミュンヘンのマキシミリアン通り。ファッションとは無縁のように思われるオランダの首都アムスにも、こじんまりとではありますが、そんな通りがあります。それが、このホーフト通りです。
先般の出張で時間が余った僕は、極端に人通りが少ないこの通りをぶらついてみました。クラシコイタリアを扱う店が一軒、あとは何ともお寒い雰囲気ですが、一軒興味深い靴屋さんを発見しました。ウィンドウにはあら珍しや、ボナフェのマッケイ、並んだりな、並んだりな、オールデンにウェストン、クロケットにヤンコと、まさに靴の万国博覧会。これは面白そうだと、店内に踊り入る。
扱うブランドは前述のほかに、イタリアはDe Santis、Bettanin、リドフォルト、英国はグレンソン、トリッカーズ、チーニーといったところです。僕の接客をしてくれたのはヨハン・ボスのジム出身といった雰囲気のHerman Kuiper氏。サイズを告げて色々試着しているうちに、こちらへどうぞというわけで、店の奥のストックルームに案内して頂きました。
おーっ!思わず唸る僕。棚には「一体いつのだ??」と言いたくなるような古い靴箱が積まれています。見せてもらったクロケットなど、全く見覚えのない中敷のロゴと、まるでリーガルのような堅牢なスタイル、間違いなくデッドストックで思わずぐっと来てしまいました。
ただせっかくオランダへ来たのですから、オランダの靴が欲しい、オランダの靴で僕のサイズはないかと尋ねてみました。オランダの靴で僕が知っているのはヴァン・ボメルぐらいです。
優しいKuiperさん、棚の奥をごそごそと探して「今はこれしかありません」と僕に差し出したのは、その名もAVANGというブランドの靴でした。AVANG・・・オランダ南部のBRABANTという地方のSINT-MOERGESTELという小さな村で1860年、オランダの伝説的靴職人Anton van Gilsにより操業されたこの会社は、オランダ高級靴の代名詞として長年君臨してきたブランドだそうです。まだまだこういう知らないブランドがあるんですから、世界は広いですな〜。
出てきた靴は2足、茶のフルブローグと、黒のフルブローグのハーフブーツです。まだ持っていないタイプの後者にそそられ、恐る恐る値段を尋ねると、何とどちらも200ユーロ前後!安いなー、おいっ!グッドイヤーで良い革使って、その御値段はないでげしょ。安い事は善。僕は迷わず未知の強豪AVANGを購入しました。
帰りの飛行機の時間もあって、あまり長居は出来なかったのですが、この店、まだまだお宝が眠っていそうな雰囲気でした。Kuiperさんも本当にいい人で、これまであまり面白くなかったアムスへの出張が楽しみになりました。

写真→AVANGの靴


Eduard Meier (Munich - Germany)
Residenzstrasse 22
Tel.+49.89.29.07.24.44/22.00.44 Fax.22.72.82
www.peduform.de

「飛行機、何時?」
「○○時。」
「時間あるな、一緒にクリスマス・マーケット行く?」
「いや、俺ちょっと寄るとこあんだ。」
「なんだ、また靴?」
「え!?ま、まあ、そんな感じ・・・。エヘヘ。お先に失礼しまーす。」
ミュンヘンでの会議を終えるや否や、僕は猛スピードで欧州各国から集まった同僚たちに別れを告げました。ミラノへ帰る飛行機までにはまだ時間があります。僕にはどうしても帰りしなに立ち寄りたい店がありました。
エドゥアルト・マイヤー、Bertlに引き続きミュンヘン二軒目の靴屋の紹介です。
僕にこのお店を紹介してくれたのは、JUNさんの掲示板で刺を通じるようになった「たかりん」さんです。前回のミュンヘン出張のときに御親切に教えて頂いていたのですが、前回は僕が掲示板を見るタイミングが遅くて、訪問できずにいました。
そんな経緯から今回の出張で、このお店だけは何としてでも訪れたかったのです。
場所は会議を行ったミュンヘン事務所から近かったのですが、一刻を争う僕はタクシーに飛び乗りました。ワン・メーターの距離でしたが、優しい女性の運転手さんは快く引き受けてくれました。ミュンヘンの人は優しくて大好きです。
「ここから先は車では入れないわ」運転手さんにそう言われてマックス・ヨゼフ広場で下車した僕は、既に真ん前に見えている目的の店へ飛び込みました。
店に入るといきなり真ん中の棚に婦人靴が陳列されています。どれも一目でわかる上質な靴です。そのまま奥の別室へ進むと、ありましたありました!入口左手の壁一面にシュー・ケア用品、右手にL字型に背の低い棚がしつらえてあり、そこにびっちり靴が並び実に壮観です。加えてこの店、どことなく優雅な雰囲気が漂うのに、決して気取りすぎず実にいい感じです。久しぶりに現れた僕の「好みのタイプ」です。
店員は何組かの客の接待に追われ忙しそうです。取り敢えず並べられた靴をチェックします。いい靴です。どれもハンド・ソウンです。何より革が素晴らしい。欲しい!電光石火、僕の脳天は一発でやられてしまいました。ところがこれらの靴が注文用のサンプルなのか、その場ですぐに売ってくれる既製靴なのか分かりません。既製靴は英国ノーザンプトンの雄クロケット&ジョーンズの手によるもの聞いていましたが、それらの超絶靴は明らかにクロケット製ではありません。
話が聞きたいな。僕は時間がないので焦りました。欧州の客の買い物にかける時間が長い事は分かっていたので余計に焦りました。店内をぐるぐる見廻すと、ひとりシュー・ケア用品のコーナーに青年が立っています。さっきから何度も商品を上げたり下ろしたり、それが彼の仕事なのかもしれませんが、明らかに不必要な動作を繰り返しています。なんて言うか、「僕ちゃん忙しいもんね、僕だって働いてんだもんね」といった感じで、はっきり言えば明らかに働いていないのです。
こいつだ!僕は獲物を狙う禿げ鷹の如く彼に近寄りました。そして単刀直入に、既製靴はあるか、あるなら見せて欲しい、と告げました。
彼は明らかに動揺しました。「ウッ」っと声を漏らしたような気がします。慌てて周りを見廻します。「誰か助けて!」目がそう言っています。怯えた子犬の目です。
なんだ、なんだ??こちらが逆にうろたえてしまいます。なんか僕の質問に問題があったのでしょうか?
「しばらくお待ちください」そう言って彼はどこかへ消えてしまいました。
仕方なく相変わらず店内をぶらぶらしていると、奥に何足か既製靴を見つけました。これらは明らかにクロケット製です。しかし、手前の棚にあるサンプルか既製か不明の超絶靴に比べると明らかに見劣りします。同じブランドの靴とは思えません。
彼が戻ってきました。
「当店では基本はオーダーになります。」
「はい。そのようですね。」
「しかしながら、僅かに既製もあります。」
「はい。そのようですね。」
「既製の靴でも足の採寸が必要です。」
「はい。そりゃそうでしょう。」
「それには4時間掛かります。」
「はい。・・・・。え、なに!?」
なんだ、なんだ??何で既成の靴を選ぶのに4時間もかかんだ??よしんば注文だとしてもそんなには掛からんぞ。あのバリントさんですら1時間だもの。
混乱した僕はもう一度聞き返しましたが、彼の答えは変わりません。絶対なんか勘違いしている。絶対おかしい。
「もういい。君じゃ話にならんから、店長を呼びたまえ。店長を。」といきたい所ですが、残念ながら僕は高度経済成長期を支えてやっと偉くなった日本の社長さんではありません。縁がなかったと諦め、「そうですか、それでは仕方がないですね。」と力なく答えるのが精一杯でした。
買い物の途を先方から閉ざされた僕は、余った時間を他の靴の鑑賞に当てました。それほどこの店の既製靴はどれを取っても素晴らしいものなのです。
いじけた気持で店内を未練がましくぶらついていると、一人の女性が声をかけてきました。店員さんです。既製靴が欲しいけど時間がないので諦めた。僕はふて腐れた態度で言いました。あなたの同僚が4時間掛かると言ってましたぜ。ちくりました。このあたり僕も相当いやらしいです。
今度は女性の店員が慌てました。4時間も掛かりません、彼は昨日入ったばかり(!)の新米なんです。
やっぱりねー。僕はこのベテランらしき女性の店員に改めて接客してもらうことになりました。まず最初の質問、陳列されている靴はオーダー用のサンプルか、既製靴かを尋ねました。オーダー用のサンプルは一番手前の棚にある十数足で、後は全て既製として購入可能との事です。
これは驚きました。既製の靴にしては革の質といい造りといいレベルが高すぎるのです。通常の靴工房ならば注文用のサンプルとして置いてあるほどのレベルです。全て自社の工房で造っているそうです。
話している途中、僕の英語の端々にイタリア語が混じってしまうので、女性の店員が不思議がって聞いてきました。僕がイタリアに住んでいる旨を話すとなんという奇遇、この女性はヴェネチア出身のイタリア人だったのです。そうなると話は早い、と女性は思ったのか、そこから先の会話は全てイタリア語になってしまいました。他の客も店員も僕らの遣り取りをじろじろ見ます。ミュンヘンの靴屋で店員と日本人がイタリア語で話をしていたらそりゃあ変ですよね。
一足欲しい靴があったのですが結局予算の都合で見送りました。女性に頂いた名刺の裏にその靴のモデル名、ワイズ、サイズ、色、値段を書いてもらって店を後にしました。
もし再びミュンヘンを訪れる機会があれば、必ずもう一度訪れたい店です。それまでに予算枠を確保しなければなりませんが、仮にそうでなくともあの優雅な店内はそこに身を置くだけで幸せな気持になれます。

(後日談)
予算は確保できませんでしたが、ミュンヘンを再訪しました。お店は残念ながら閉店していましたが、ウィンドウ越しに写真をパチクリしてきました。
写真→


BALINT-MABSCHUHE, LAJOS BALINT (Wien - Austria)
Singerstrasse 30,A Tel.+43.1.5122714 Fax.+43.1.5122701
e-mail:lajos.balint@aon.at www.balint.at

ウィーンは訪れなければならない都市のうちの一つであったにも拘らず、ずっとそれを先延ばしにしていました。
我々夫婦の重い腰を上げさせたのは、小澤征爾のウィーン国立歌劇場音楽監督就任のニュースです。どうせならウィーンで小澤が振るオペラを見てみたい、そんなミーハーな動機が我々をしてウィーンに行く決意をさせたのです。
ウィーンには魅力的な靴屋さんが多いことも、僕にとっては楽しみの一つになりました。
かつて東京のブレイズ・オブ・サヴィルロウで手にして以来憧れて止まないゲオルグ・マテルナ、スニーカーばかりが日本では有名になってしまったルーディック・ライター、下記のBertl同様『SCARPE DA UOMO』で紹介されているBalintやZAK、アラン・フラッサーがその著書でジョン・ロブ本人やドメニコ・カラチェニ本人と並び賞する職人Sheer氏がいるウィーン随一の靴工房Rudolf Sheer & Sohneなど、きりがありません。

ウィーンに着いたその日のうちに、僕は上記の全店を取り敢えず周る事にしました。
経済的に余裕のない僕はこのうちの一店でしか買い物が出来ません。ところがミュンヘンで覗いたルーディック・ライター以外はどれも未知の靴ばかりなのです。それで先ずは全ての靴を見て回って、中で最良のものを求めようと決めました。
先ず初めに覗いたのは目抜き通りのZAK。『SCARPE DA UOMO』でも紹介されているレースアップ・ブーツ(ボナフェにも同モデルあり)のほかエレガントな靴がウィンドウに並びます。値段もさほど高くありません。商品の半分は婦人物のようで、店員も客も御婦人です。
次に訪れたのはBalint。店に入るなり大きなムク犬が飛び掛ってきました。
「ハウマッチ、ハウマッチ!」
犬を制して応対をしてくれたのは年配の女性でした。英語が通じます。既製靴が欲しいと告げました。女性と一緒に若い青年が応対してくれます。この青年も英語を話します。
「この店は注文靴が中心ですが僅かに既製もあります。御客様の足に最も適したラストを用いた既製をお勧めします。」そう言って先ずは一足試着をさせてくれました。どうもきつい感じです。「僕の父が様子を見ますのでお待ちください。」
奥から出てきたのは親方のLajos氏です。若い青年は一人息子のBelaさん、最初に応対をしてくれた年配の女性はLajos氏の奥様Kataさんでした。親方だけは英語が話せないようです。(そういう職人さんの方が信頼できる!)親方が靴の上からしきりに足の当たりを確かめます。
こちらの方が合うでしょう、と別の靴を勧められましたが、こちらもやはり窮屈です。すると親方、少し調整しましょう、と靴を持って奥へ引っ込んでしまいました。「既製の靴が合わない場合、その場で調整してあなたの足に合わせるのです。」息子のBelaさんが説明してくれます。あなたも靴職人ですか?僕の質問にBelaさんは「父の下で修行しています。現在はラスト作りを手伝っています。」と教えてくれました。やり取りの間ムク犬のハウマッチはずっと僕の手を噛んだり舐めたり、熱烈な歓迎振りです。
さあ、これを履いてみて。親方が調整した靴を持って出てきました。多少楽にはなったもののやっぱり窮屈です。店にはもう一人若い女性が加わりました。二番目のお嬢さんKrisztinaさんです。ここは本当に家族経営のお店のようです。
親方がしきりに息子のBelaさんに説明します。いわく、僕の足はBalintの既製には合わないこと、注文靴がベストであるそうです。
ああ、困りました。皆さん大変親切で、何かこのまま何も買わずに店を後にするのは悪い気がします。しかし注文靴を決心するのは早すぎます。何しろまだ憧れのマテルナを見ていないのです。しかし、僕のために形を強引に変えられてしまった既製靴の行方も気になります。
「注文靴は僕には高価なので少し考えさせてください。決心したらまた来ます。」
正直にそう詫びると奥様のKataさんは、「明日来るときは事前に電話して。別のお客さんとぶつかるといけないから」と言いました。僕は別にぶつかっても待てばいいと思いましたが、了解して店を後にしました。

ウィーンの冬は半端じゃない寒さです。外を歩いていると、耳と頭がみるみる痛くなってきます。足を速めて残りの店に急ぎます。
ルーディック・ライターはウィーンに何軒か店がありますが、その中で一軒、知人の方に推薦された店に行きました。鰻の寝床のように奥行きのある店で、クリスマス・シーズンということもあり店内はチャーミングに飾られています。店の人たちが忙しそうだったので、暖をとって次の店Rudolf Sheer & Sohneへ向かいました。Rudolf Sheer & Sohneは全く別格の店でした。貴族の家のサロンのような店内、ショウ・ウィンドウに飾られる重要文化財のような靴、値段も格も超一流で腰弁の僕などはまるでお呼びでない風格です。早々に退散して最後に憧れのマテルナへ向かいます。マテルナ・・・今はなき渋谷の名店ブレイズ・オブ・サヴィルロウがポールセン・スコーン製のオリジナルとともに扱っていたのがこのオーストリアの名靴でした。その頃巷に溢れ始めた高級靴の中でも、マテルナはその稀少性と価格とで僕を魅了しました。「いつかは」と思っているうちにブレイズは閉店してしまいました。そんな憧れのマテルナを作製している工房をついに僕は訪れることが出来たのです。店にはマテルナさん御自身のほかに中年の男性の職人さんとお婆さんがいました。お婆さんが接客をしてくれましたが、何しろ言葉が全く通じません。お婆さんは英語が話せる女性に電話をかけてくれました。受話器の向こうの女性は「しばらくしたら行くから待つように」と言いましたが、待てど暮らせど女性は現れません。その間にショウ・ケースに入ったオーダー用のサンプル靴を眺めますが、どれも美しいデザインの靴ばかりで溜息が出ます。女性から再度電話で「もう少し時間が掛かる」と言われたので、いったん店を出る事にしました。僕にはもうこれで十分でした。あのマテルナの工房に来れた、それだけでお腹一杯です。ウィーンでも買うことが出来なかったマテルナはやはり、僕にとって永遠に手の届かないマドンナなのかもしれません。(マテルナに関心がおありの方は山下大輔さんのHPを御覧下さい。)

さあ、これで決まりました。Balintで注文です。或いは最初にBalintを訪れたときからもう僕は決心していたのかもしれません。
みぞれ混じりの雨の中、僕は再びBalintを訪れました。外はもう真っ暗です。
店に入るとKataさんが出てきました。もう息子さんも娘さんも居ません。ハウマッチは相変わらず元気で僕に飛び掛ってきます。
今日のうちに決心しました。僕に靴を誂えてください。
そう御願いすると、Kataさんは奥にLajosさんを呼びに行きました。Lajosさんは耳にヘッドホンを当て、グラインダーのような機械で何か研磨しているようでした。ヘッドホンは騒音防止か、或いはここは音楽の都、シュトラウスでも聞きながら作業をしていたのかも知れません。
LajosさんとKataさんは僕を二階へ案内します。二階はオフィス兼採寸のためのアトリエになっていました。右奥にステージのように一段高くなったスペースがあり、そこに椅子が一脚用意されています。
その椅子に腰掛けた僕は、これまで体験した事のない驚異の採寸を体験する事となります。
先ずは紙の上に足を置いてその外周をなぞります。
次に座った状態で左右それぞれ6箇所ずつ、合計12回の採寸を行い、それから立った状態で同じ箇所の採寸を行います。これで合計24回の採寸になります。
今度はフット・プリントを撮ります。これも座った状態で左右各一枚、立った状態で各一枚、合計四枚撮ります。
次は足を真横から見た状態を紙に写します。何種類か用意されたヒールから自分の好みの高さのものを選び、それを踵の下にそえます。足の真横に紙を垂直に立て、足の形状を書き写します。同じ紙を今度は踵の後ろに持っていき、足首から踵にかけての形状を書き写します。さらに同じ状態で甲の高さや踝の位置などを丁寧に採寸します。
最後はデータ管理用に足の写真をデジタルカメラに収め、足を両手で包み込むようにマッサージし、足の形態、特徴をメモして終了です。
言葉にするとこれだけですが、この採寸作業に要した時間はおよそ一時間。これは「やり過ぎ」です。もちろんいい意味です。イタリアのベーメル、マンニーナ、バリーニ、英国のクレバリー、ビスポークの経験は僅かではありますが、これほど精密な採寸は初めてのことです。パリのベルルッティ本店ではこれに勝るとも劣らない緻密な採寸を行うと聞きましたが、とにかく僕には大変なショックでした。最初の訪問で別れ際に奥様のKataさんが僕に言った「事前に電話でアポを取るように」という言葉の意味がやっと分かりました。仮に別の客の採寸にぶつかった場合、ゆうに一時間は待たなければならなかったのです。
採寸の間も僕を飽きさせないためか、Kataさんがずっと話し相手になってくれました。中島渉氏が来店したときの話や、ドイツの名タンナー、カール・フロイデンベルグが再び産地を変えて革の供給を始める話など、実に興味深い話をたくさん聞かせてくれました。Lajosさんの採寸はとても優しく、例えば僕を立たせるとき「ここに手を置いて」とその肩を差し出してくれます。はしゃぎ疲れたハウマッチは床にグッタリとして、それでも犬用のガムをクチャクチャ噛んでいます。
幸福な一時間が過ぎ、採寸は終了です。階下に降りて、サンプルから注文する靴の型を選びます。典型的なウィーン・スタイル、典型的なBalintスタイルを強く希望しました。典型的なウィーン・スタイルとは、爪先から甲にかけて扁平な面が広がるブダペスト・スタイルを、もう少しシェイプを効かせてノーズを長めに取った非常にエレガントなスタイルです。
Balintスタイルと言って御二人が見せてくれたモデルには、エドワード・グリーンのBEAULIEUモデルに良く似た靴もありましたが、僕が大変気に入ったのは同じくグリーンのWIGMOREに良く似たモデルです。Balintさんはそれをローファー・ブローグドと呼びます。
次に革を決めなければなりませんが、サンプルに使われている革が余りに素晴らしかったので、それで御願いする事にしました。ボックス・カーフのNERO169という品番で、Lajosさんはこの色合いの革を探すのに長年費やしたそうです。
これで全ての段取りは仕舞いです。最後にLajosさん、御土産だといって一冊の本をくれました。『Handmade SHOES FOR MEN』。何と僕がそのイタリア語版を所有するクーネマン出版の英語版でした。著者はブダペストの靴職人Vass氏ですが、Lajosさんはその出版にあたり多くの取材協力をしています。特に最初の『サイズ』の章では、Lajosさんの真骨頂である精緻な採寸の様子が写真で多く紹介されています。兼ねてより欲しかった英語版なのでとても喜んでその旨を告げ、サインをねだると。Lajosさんは「私はイタリア語版が欲しいよ、交換しよう」とおどけ、快くサインをしてくれました。
店を出る前に、御家族の御名前をもう一度伺いました。大黒柱の親方Lajosさん、糟糠の妻Kataさん、この日はお会いできなかった長女がRekaさん、次女がKrisztinaさん、そして将来のマスター長男のBelaさん。皆さん本当に優しかった。「ハウマッチ」としか聞こえなかったムク犬の本当の名前はPamacs、雌でした。この日は僕が外国で初めて異性にもてた記念日にもなりました。

(Photo Gallery) ここに掲載の写真は全てLajosさんから送って頂いたものです。
写真1→Lajos氏の自信作、その名も「GOLD」
写真2→典型的ウィーンスタイルの靴
写真3→典型的ブダペストスタイルの靴(アートです!)
写真4→愛しのハウマッチことPamacs

(到着!)
ウィーンから完成した僕の靴が小包みで届きました。
早速取り出します。期待と不安が気持を焦らせ、箱を開ける手もいつになく早く動きます。オリジナルのシューバッグから靴を取り出し、初対面。靴にはカスタムメイドのシューキーパーが入っています。予想以上の出来に満面に笑みが浮かびました。これまでの乏しい経験では、完成した靴を見るなり予想していたイメージと異なり複雑な気持になる事が多かったのですが、ウィーンから届いたその靴は店頭で見たサンプルの印象そのまま、スタイルも革の質感も素晴らしいものです。
シューキーパーを抜いて靴の中を覗きます。中敷が靴全体に敷かれています。すぐにかつて見たことのない特徴に気がつきました。中敷の丁度真ん中辺り、足の裏の中心に当たる部分が「ぽこっ」と盛り上がっているのです。瘤とり爺さんの瘤のようなものが両足ともにくっ付いています。試しに指で押してみます。硬い・・・。瘤は硬く盛り上がっていて、指で押してもびくともしません。すぐに僕は合点がいきました。稀代の偏平足のせいです。上述したように、親方は採寸の際、入念にフットプリントを撮っていましたが、そのおかげで僕の、かつて誰にも負けたことのない、仏陀のような偏平足はバレバレだったのです。この瘤はその偏平足を支え、長く歩いても疲れにくくする工夫に違いありません。靴の作成において足の健康を第一に考えるラヨス親方らしい工夫ですが、実際靴に瘤を付けてもらったのは僕の乏しい経験の中でも初めてです。
早速足を入れてみます。なんとも絶妙な感触です。当たらず、障らず、それでいて緩くない、仮縫いを経ないでこれだけフィットさせるとは、やはりあれだけ入念な採寸は伊達ではありません。
ミラノの空はここのところ涙もろくて、なかなか履き下ろす機会を逸していましたが、週末はようやく晴れたなので、早速これを履いて近所で開催している倉俣史郎展でも見に行って来ようかと考えています。果たして瘤の効き目や如何に?
(写真)出来上がった靴中の瘤靴底

(履いてみて、歩いてみて)
長時間この靴を履いて歩いた感想ですが、「素晴らしい」の一言に尽きます。靴の中はどこも当たらず、余分なだぶつきもありません。スリッポンですから、それは如実に分かります。靴の返りも非常によく、歩いていて疲れるという事がありません。注目の瘤ですが、これも明らかに効いています。靴を脱いだ後の足裏に残る疲労感というものが、他の靴とまるで違います。バリント・・・僕にとって注文靴の本命になる予感大です。


Schuh - Bertl (Munich - Germany)
Kohlstrasse 3 Tel.+49.89.297162 Fax.+49.89.2283120
e-mail:info@schuh-bertl.com www.Schuh-Bertl.com

ミュンヘンへ初めて来たのはミラノに着任して間もない頃。ドイツ人の上司がオクトーバー・フェストに招いてくれたのです。オクトーバー・フェストとはビールのお祭り、会期中は会場のテント内で鳥の丸焼きやプレッツェルを食いながらひたすらビールを飲み、歌い、踊ります。会場の外では移動遊園地の絶叫マシーンが派手なテクノ・ミュージックをBGMに唸り声を上げます。この祭りに参加してつくづく思い知ったのは、ドイツ人のタフガイ振りです。我々日本人とは基礎体力が違いすぎます。まともに付き合っていたらへとへとになります。
そんな訳で、下戸な僕はオクトーバー・フェストにはこりごりなのですが、この期間中、ミュンヘンの街を歩くのは楽しいですよ。みんな祭りに参加するために思い思いの民族衣装に身を包み、それがちょっとした見ものなのです。
僕が出張で3度目のミュンヘンを訪れたときは、まさにオクトーバー・フェストの真っ只中でした。
仕事の合間にわずかに空いた時間でどこを訪れるか?
僕の頭には二軒の候補がありました。一軒はルーディック・ライター、そしてもう一軒がこの靴工房Bertlです。
Bertlは僕がミラノで買った本『SCARPE DA UOMO』にその靴の写真だけが紹介されている工房です。その写真に魅せられた僕はさっそく工房を訪れてみました。
場所はドイツ博物館のすぐ近く、慣れない場所で土地鑑の無い僕はやや遠回りしてようやく店に辿り着きました。ところが店の中に人影は無く、ドアに施錠がされています。よく見るとドアに張り紙がしてあって、ドイツ語でなにやら書いてあります。
イタリア語はどうにか読める僕ですが、ドイツ語になるともうお手上げ、ただ、そんな僕にもはっきり読める文字がありました。
...."Oktoberfest".....
オクトバーフェスト・・・、おくとおばぁ〜ふぇすとぉ〜!?
そうです、皆さん総出でオクトーバー・フェストに行ってしまって、工房は開いていないのです。あー、時期が悪かった。
その晩ドイツ在住の同僚にその旨を話すと、稼ぎどきなのに信じられない、明日また行けば、と助言されました。
そこで翌日再び訪れると、やりました、開いていました。ところが・・・・。
中に入るとでっかいドイツ人が数人、皆民族衣装を身に纏い、楽しそうに談笑しています。
♪ち〜ろ〜りあ〜ん♪
餓鬼の時分にテレビで聞いたコマーシャルのフレーズが頭に響きます。
そうです、そこはこれまで訪れた靴工房とはあまりにも懸け離れた雰囲気、何と言うか、靴工房と言うよりは、山小屋のような雰囲気なのです。実際、ウィンドウには登山用のブーツやチロリアンな伝統靴が飾られ、天井からも無数にワークブーツのようなものがぶる下がります。
なんか、おかしいぞ。僕が呆然としていると女性の店員さんが話し掛けてきました。
僕がこの工房で作られた靴に興味がある旨を話すと、女性は色々教えてくれました。
オリジナルネームの既製靴は全てイギリスやフランスの靴メーカーが作っている事、デザインは全てBertl氏のオリジナルである事、等々。
ビジネス向けの靴が欲しい事を述べると、何点か見せてくれました。中でも僕が気に入ったのは、イギリスの優良メーカー、サンダースに作らせたフル・ブローグです。革はエンボス加工された丈夫そうなもの、爪先には予め金属のプレートが埋め込まれています。しかしこれはサイズが合わず断念。
他のオリジナルにはあまり魅力がありません。
途方にくれているとBertl氏が近寄ってきて僕が履いていた靴を取り上げました。当日僕は同じ国ドイツで買ったHeinrich Dinkelackerの靴を履いていました(その他編:Tott&Co.参照)。Bertl氏は「これはハンドメイドの靴だな、イエス。なかなかいい靴だな、イエス。」と言います。英語は上手ですが、何故か語尾に必ず「イエス」が付きます。
これはデュッセルドルフで、ドイツいちの靴を、と言って出てきた靴です。
僕がそう言うと、とたんにBertl氏の顔色が変わりました。
「それは間違いだ。アンダースタン?ハンドメイドが一番と言うのは大きな間違いだ。アンダースタン?」今度は語尾が「イエス」から「アンダースタン」に変化しました。
「例えば俺のこの自転車を見ろ。幾らだと思う?4,500ユーロだ。最高だろ。でも、ハンドメイドではないぞ。アンダースタン?」
「一方俺のこの民族衣装を見ろ。見事な刺繍だろ。これはハンドステッチだ。アンダースタン?ではここに吊るされている民族衣装を見ろ。刺繍の無い普通のものだ。アンダースタン?どっちが高いと思う?」
「刺繍のあるほうだと思いますけど・・・。」
「そうだ、すなわち、そういうことなのだ、アンダースタン?」
何を言ってるのか全然わからん・・・。とにかくそういうことなのだそうだ。僕は無理やりアンダースタンしました。
Bertl氏との意味不明のやり取りを終えて、僕は疲労してベンチに腰掛けました。オクトーバーフェストのときと同じだ。やっぱりドイツ人は疲れる。
気の毒そうにその様子を見ていた店員の女性は、気を取り直してオリジナル以外の既製靴を勧めてきます。グレンソン、トリッカーズ、それに僕が履いてきたDinkelackerもあります。でもどれもわざわざこの店で買わなくてもよいものです。
こんなのはどうですか?女性がチャーチのシャノンのような靴を差し出しました。
おー、なんと、ロッドソンではありませんか!
「いやー、懐かしい。この靴を作っていたテクニーク社は買収されてもう無いんですよね。」
僕がそんな受け売りの薀蓄をひけらかすと、同じ会社の別ブランドもありますよ、とその女性。
まさか。
僕の眼前に差し出されたのは、若き日の僕が憧れてやまなかった今は無きブランド、ジョン・スペンサーではありませんか!
その風格あるインソックス、独特の革使い、気品ある佇まい、忘れもしないそのスタイル、僕は思わず靴に向かって言いました。「スペンサーさん、お懐かしゅう!」
しかし残念ながらロッドソンもスペンサーも僕の間抜けな小足には合いません。
もはやこれまで。諦めかけて帰ろうとした僕の眼に、変わったスタイルのハーフ・ブーツが飛び込んできました。
聞けばこれはオーストラリアのメーカーに作らせているオリジナルとの事。見覚えがあるそのスタイルは、前出『SCARPE DA UOMO』に載っているサイドレースアップのハーフブーツにそっくりです。
この靴で僕のサイズはありますか?聞きましたが女性は、それは女性用で、靴も右足しかありません(なんでじゃ!)、と言います。
なんだ女性用か、それに右足しかないんじゃ、どうしようもないな。
本当に諦めて帰ろうとすると、奥の工房からBertl氏が「それはユニセックスだよ、イエス!何ヶ月かしたらたくさん入荷するよ、イエス!」と叫びます。
それで僕は自分のサイズをミラノまで送ってもらう事にしました。
最後にBertl氏と少し話しをしました。日本のシューフィルという雑誌が取材に来た話、イタリアの靴は高いという話、とりわけガットゥは法外だという話、などなど。
店内の様子工房の様子を写真に撮らさせて貰い、最後にBertl氏の写真を撮りたいと言いました。するとBertl氏、こいつを一緒に写してくれ、といって例の4,500ユーロの自転車を引っ張ってきました。変わってるな〜。普通靴職人なら自分が作った靴と一緒に写りたがるものなのに、自転車とは・・・。まあいいでしょう、ハイ、チーズ。
「念のため、もう一枚撮っておけ、アンダースタン?、イエス。」
うるせーな!
ちゃんとブーツは届くかな?僕は不安を胸に工房を後にしました。
おかしな工房、Bertl。しかし店の片隅に置かれた一枚の革で作られた手作りの靴は、ベルルッティもまっつぁおの超絶靴、Bertl氏は絶対に只者ではないのです。

自転車と一緒で御満悦のBertl氏→ここ(民族衣装です)


MARCONI OUTLET (Capri)
Via Acquaviva 16
Tel. 081/8388241

こんな旅あるかっ!
捨て鉢気味にそんな台詞も吐きたくなる。
時期はバーゲン真っ只中。フィレンツェ、パリ、ナポリ・・・・。タイ・ユア・タイを素通りし、オールド・イングランドを横目に見て、ロンドン・ハウスには足も向けない。ウィンドウ・ショッピングすらままならない。
僕は今アテンド中なのだ。
アテンドの相手は妻の両親。二度目の来伊だ。

「イタリアで暮らす事になりました。」そう言ったとき最も喜んだのは義母だった。
「そいつはやめてもらいたいな。」臆面もなくそう言ってきたのは僕の親父だ。大正10年生まれの親父にとって、孫のような一人息子を遠くへやるのは堪えられない事だったに違いない。強がる事を知らない親父は、正直すぎて僕を困らせる。
義母が喜んだにはわけがある。義母は体質上食事に問題を抱えている。世に氾濫する食材の殆どを摂取する事が出来ない。具体的には、白米、蕎麦、豆腐、パンといったものに焼き魚や山菜といったものしか摂取できない。好き嫌いではない。生来の持病の一種である。そんな人間が洋行できるわけがない。言葉の話せない還暦近い婦人が洋行するには、ツアーとやらの団体旅行に参加するほかない。参加をすれば餓死をする。義母にとって洋行は叶わぬ夢だった。
そこへ娘のイタリア移住がふってわいた。義母は目を輝かせ膝乗り出した。これでイタリアへ行ける!

僕ら夫婦は綿密な計画を立てた。イタリアをじっくり見たいという希望に沿って、フィレンツェ、ヴェネチアにそれぞれ1泊、ソレントには1週間台所が付いたレジデンスを借りて、そこを拠点にカプリ、ナポリ、ポンペイ、アマルフィへと船で出かける。唯一の外国はパリだ。
旅行前に妻と交わした約束はひとつ。今回はアテンドに終始する事。自身の買物は控える事。
いいでしょう、守りましょう。僕だって鬼じゃあない。旅行中に親をほったらかして自身の買物に没頭したら、親は一体どう思うか。妻だっていたたまれなくなるだろう。見れば買いたくなる。見まい、買うまい。僕はそう心に誓った。

フィレンツェ。いつでも来られるこの街は、しかし時期が悪かった。馴染みの店の数々が割引販売をしている。ウィンドウを覗き込みたい衝動に駆られる。宿泊しているホテルの並びにはミケーレ・ネグリとエレディ・キアリーニがある。街を歩けばヴォルポーニやブリオーニの前を何度も行き来する。嫌でもディスプレイが目に飛び込む。三割四割は当たり前。見まい、買うまい・・・。念仏のように唱える。ブジェッリさんは元気だろうか。二度目の試着を未だ済ませていない。だが今回は訪ねるわけにはいかない。唯一久闊を叙したのはマンニーナ親方だ。それも出来上がりの靴を受け取るだけ。さようならフィレンツェ。また逢う日まで。

パリ。いつ来られるとも知れないこの街では相当の忍耐を強いられる。パリは広い。フィレンツェほどショップ遭遇率は高くない。それでも、シャンゼリゼを歩けばウェストンがある、ヴァンドームに向かえばシャルヴェがある。何故かイタリアよりも暑いパリに焦燥感が余計に募る。三越で土産が買いたい。義父が言う。義父は以前に仕事でパリに来ている。その時も三越で買ったという。これが親しい友人ならば止めようともするが、親の望みなら是非もない。三越に向かう。通りを挟んだ真向かいにはオールド・イングランドがある。ひときわ大きくセールを告げるディスプレイ。六根清浄、六根清浄・・・。

ナポリ。アンナさん、ルビナッチさん、マリネッラのGIGI。僅か二年前の事とはいえ皆懐かしい。皆元気だろうか。最近のクラシコおたくたちのナポリ熱は以前にも増して熱いようだ。ヌンツィオ・ピロッツィの第二次ブームともいえるリバイバル、コスタンティーノ・プンツォといった聞かない名前、まるでイタリアに住む僕だけがひとりナポリの情報から取り残されているようだ。それでも彼らを訪ね歩く事は許されない。スパッカ・ナポリを散策し、サンタ・キアーラのキオストロで気を落ち着ける。もう一度ここへ来る機会はあるだろうか。

水中翼船でカプリに着く。ソレントから僅か20分という近さだ。
両親に是非青の洞窟を見せたい。それが妻のたっての希望だった。三週間にも渡る旅のハイライトとでも言うべき場所、それがここカプリだ。だが青の洞窟は一筋縄ではいかない。いつでも気軽に入って見られるというものではない。それは天候と波の高さに大きく左右される。あの口では説明できない美しさ、信じられないブルーをこの目で見るには、それ相応の運が伴わなければならない。ちなみにミラノ在住の妻の友人は三度試みて悉く失敗している。日帰りでは危険だ。そう考えた我々は、これまで日帰りで済ませてきたカプリに一晩だけ宿を取り、初日に見られなかった場合の予備日を設けた。

果たして心配は杞憂に終わった。到着早々船頭のカンツォーネとともに洞窟の青を堪能する事が出来た。チェック・インを済ませて街を散策する。カプリは安心だ。バーゲンをやっていないし、第一立ち寄りたい店がない。ルッソは前回の訪問で「パスしてよい店」と認識している。ただ一軒だけ、気がかりな店があった。マルコーニ・アウトレット。ルッソ各店のキャリー品を割引いて売っているという店だ。アウトレットだから店員との気の利いたやり取りは期待できないだろう。でも「安い」という事実は、それだけで人を動かす魔力を秘めている。

街を歩き回って親も我々もくたびれた。夕食までには大分時間がある。ホテルへ戻ってシャワーでも浴びて、夕食の時間までのんびりしよう。そんな成行きになった。
部屋へ戻って妻に問う。「あのー、これって自由時間ということですか?」
だから、どうした。一軒だけ気になっている店があるんですけど、「見学」したいんですが。
疲れたから休みたいと言う妻を部屋へ残し、僕は歩いてすぐのその店へ向かった。
「奴隷解放」・・・そんな言葉が頭をよぎる。自由って素晴らしい。そうだ、僕は今自由なのだ!
お店はフニクラーレの駅近くの地味で目立たない場所にあった。倉庫のような店に在庫がぎっしり並び、アウトレットそのものの気安い雰囲気が漂う。
向かって右に紳士ものが揃う。入ってすぐ手前に水着が並ぶのはカプリならでは。僕は買ったばかりのエトロの水着をモロッコに忘れている。親が帰朝したあとは夫婦二人でタオルミーナへ向かう。当然泳ぐだろう。水着がないではないか。フェデッリの水着を握り締めレジでサイズの是非を訪ねる。試着せよという。他の人が僕より前に試着していない事を祈りつつ試着室でパンツを下ろす。よし、ぴったりだ。
続いてシャツやカット・ソーを無視し奥へ進む。スーツやジャケットがぶる下がっている。キトン、イザイア、ブリオーニ・・・涎が出てくる。中でもキトンの夏向けのJKがいい。素材は麻と絹にモヘアが混じる。値段を見る。決して高くはない。
「見学」・・・・そう言って部屋を出た。妻と話す必要がある。膝突き合わせて協議しなければならない。
「必需品」の水着だけ買い、ひとまず部屋へ戻り、妻を連れ出す。
プラダやミュウミュウがすげー、安いぜ!
嘘である。女物なんて見てやしない。
妻と再来店。どこが安いの、高いじゃない!いきなり形勢は不利である。キトンのJKを着せて見せる。加えて価格の優位性を説く。しかし、どんなに委曲を尽くしてももはや耳には入らない。理解というのは願望である。分かりたくない人には幾ら説いても分からない。分かりたい人には電光のように通じる。
例えばここで僕が我を張るとする。妻は不機嫌になろう。親は何事かと怪しむはずである。楽しい旅が台無しになる。
僕は折れた。その代わりキトンのシャツを買わせてもらう。バルバが自社のラインとは全く別の特別なラインで、キトンのためだけに製作している特別なシャツだ。僕にとっては初めてのキトンのシャツだ。価格はJKに及ぶべくもない。それにネクタイも一本付けさせてもらう。ボレッリの美しい深紅のタイだ。
三週間だ。三週間、フィレンツェ、パリ、ヴェネチア、ナポリと旅してきて、シャツを一枚にネクタイを一本。それも割引価格で。それぐらいしても罰は当らないでしょう、えーっ!?
僕は鬼の形相でレジへ向かった。

以上でこの話はお終いです。どうですか皆さん、僕は狂っているのでしょうか?
このお店は本体のルッソ・ウォモよりずっと店員さんの客あしらいもよく、気持ち良く買物できます。オフ・シーズン(9月から3月)には併設のカフェがオープンし、美味しいカフェが飲めるそうです。
それにしてもあのキトンのJK、良かったなー。


ALEXANDER NICOLETTE (Serravalle Scrivia)
Serravalle Outlet
Tel. 0143/609000 e-mail: info@b-m-g.it

ミラノの日曜日をどう過ごすか?
ドゥオモは見た、ガレリアは見た、スカラ座は見た。最後の晩餐だって見たし、ナヴィリオ地区も散歩した。
何でお店はみんな閉店してんだ!買物したい!ウガァーッ!
そんな買物バカ、じゃなかったショッピング・ジャンキーの方にお薦めなのが、ミラノから比較的簡単にいけるアウトレットです。
昔から有名なのはスイスにある「フォックス・タウン」。グッチやプラダが入店しているため、日本の婦女子にもすこぶる人気です。でも男子にはつまらない。以前はジンターラ7割引なんて時代もありましたが、それも遠い昔、慰めてくれるのはエトロぐらいで、あとはせいぜい婦女子のお供をしながら、自分もみみっちく小物なんざを物色するのが関の山ですぜ、だんな。
それで僕のお薦めはもう一軒の方、McArthur Glenという外資がジェノヴァ方面で営業するアウトレットです。
開店当初はしょぼかったのですが、ここ1、2年で店数をぐっと増やし、今では120店以上を擁する欧州最大(!)のアウトレットになりました。
このHPを御覧の男性がぐっときそうなブランドをざっと挙げると、ア・テストーニ(靴)、アレキサンダー(靴)、アレン・エドモンズ(靴)、アルファンゴ(靴及びアパレル全般)、バルダッサーリ(紳士服)、ブリックス(鞄、TUMIあり)、クラークス(靴)、ロセッティ(靴)、ルチアーノ・バルベラ(アパレル全般)、ロロ・ピアーナ(ニット、アパレル全般)、マーロ(ニット)、モレスキー(靴)、パル・ジレリ(紳士服)、ピネイデル(高級文具)、ストール・マンテラッシィ(靴及びアパレル全般)、ヴァレクストラ(鞄)といったところです。
モーダもいける方には、ドルチェ&ガッバーナ、エトロ、トラサルディにヴェルサーチがあります。婦女子をだまくらかして連れて来るには、アルベルタ・フェレッティ、プラダ(靴のみ)、ブルガリあたりが有効ですし、陶磁器が好きな方には、ヴィレロイ&ボッホやローゼンタールがあります。
そんなラインアップのなか僕の一押しは、靴のアレキサンダー・ニコレッテです。
アレキサンダーといえば、イタリアでもハイクラスに愛用者の多い高級靴で、ミラノのモンテナポレオーネに店を構えるほどのブランドです。バレッタとともに前から興味があったブランドですが、ミラノの店は場所が場所だけにおいそれとは入れないで居ました。
そんな憧れだった靴をじっくり心ゆくまで、それも手に取って見ることができるのです。値段が安いのは言うに及ばず、普段は縁のない高級ブランドをためつすがめつ出来るのがアウトレットのいいところです。
早速お店に入って眺めます。デザインは比較的おとなしめ、いかにもイタリアのハイクラスが好みそうなコンサバな靴が多いようです。中には流行を意識したベルルッティ風の靴もありますが、大部分は「間違いのない」靴たちです。
気になるモデルを一足ずつ手に取ります。マッケイが多いなか、グッドイヤーやノルヴェジェーゼのものがちらほら混じります。どれも素材は申し分なく、作りも丁寧です。なかでもノルヴェジェーゼのものに強く惹かれました。コバの張り出しも控えめで、素材もとりわけ秀逸です。
値段はマッケイの倍はしましたが、それでも十分魅力的な価格、店員のおじさんにサイズを出してもらうよう頼みました。
この店員のおじさん、実にキャラクターが際立っていました。まず物凄いセールス・トーク。ネクタイはド派手なフラワー・プリント、ランチの直後でワインが残っているのか、なぜか赤ら顔。およそアレキサンダーというブランドのイメージとは似ても似つかない雰囲気、なんというか馬喰横山的臭いがぷんぷんするオヤジなんです。
親切にサイズを出してくれてたんですが、どれも大きくて合わない。そうすると、似たようなデザインでマッケイのものをどんどん持ってくるんです。見かけはノルヴェなんですけど、作りはマッケイというイタリアお得意の。それはそれでいいんですけど、僕は初めてのアレキサンダーで、長く履き込んで良し悪しを見極めたかったから、どうしてもグッドイヤーかノルヴェがよかったんです。
それでオヤジが「これはノルヴェだ」と言って平気でマッケイを出してくるので、「あのね、これ見て、こういう風に中に糸が出てないやつが欲しいんだけど。」と言って見せました。僕はこのオヤジ、アレキサンダーから派遣された店員ではなく、アウトレットの近所で雇われた田舎のオヤジだと思っていたんですが、聞いてびっくり、ミラノの我が家の近所に住んでいるというではないですか。それじゃ、モンテナポレオーネの店でも接客した経験があるのかな?決して客あしらいが悪いわけではありません。むしろ物凄い親切ないいオヤジなんですが、何しろセールス・トークが・・・。ミラネーゼというよりナポレターノという雰囲気なんです。
とにかくどれも僕の足には大きくて、諦めて帰ろうとしていたとき、オヤジがもう一人の背の高い方のオヤジになにやら耳元で呟いています。(ここから先、オヤジが二人出てくるので、ずっと接客してくれていた方を「ちびオヤジ」、背の高い方を「でかオヤジ」と便宜上呼ばせていただきます。)
ちびオヤジが囁き終わるや否や、でかオヤジは店の裏の倉庫に飛び込むと「これはどうか」と言って一足の靴を持ってきました。
箱を開けるとそこには、希望したモデルとは全く違うアンティークレッドの中庸なストレートチップが入っていました。
「う〜ん、この手の靴ならもう持ってるんだけどな〜。」
躊躇していると、でかオヤジは元の接客に戻り、ちびオヤジが再び履いてみろと強く勧めてきます。
そうだな、履くだけ履いてみようかと靴を箱から取り出し、まずは靴に詰められている紙の塊を出して中を覗き込みます。またマッケイかもしれないし・・・。
おおーっ、こ、これは・・・!!
僕は靴の中を覗いて驚きました。そこには、ボノーラやラッタンジィ、ボナフェでおなじみ、釣り込みを手で行ったばっちい跡がはっきり見て取れるではありませんか。
途端にこの靴への興味がふつふつと湧いてきました。これはすくい縫いも手で行うハンド・ソーン・ウェルテッドの靴かもしれない。手仕事なら何でもいいという訳ではありませんが、アレキサンダーというまだ見ぬ強豪の片鱗を見せ付けられたような気がしたのです。
ステッチもどうやら手縫いのようです。ソールはダブルソールが土踏まずに向けてシングルソールに優美にシェイプされています。素晴らしい靴です。
ちびオヤジは相変わらず横でわめいています。「ベッラ、ベッラ!こんな美しい靴はないよ!」とわめき続けていたかと思うと、急に神妙な顔つきになって、「いや、もうよそう。何も言わない。この靴に言葉なんて要らないんだ」だって。何だよ、単に台詞が続かなくなっただけじゃないか!
ちびオヤジのトークは抜きにして、この靴をすっかり買う気になっていたところへ、妻が入ってきました。
「なによ、買う気じゃないでしょうね。同じような靴、何足もあるじゃない!」
や、やばい。
「いや、こんなところで、こんな靴に出会うとは。これは凄い靴だよ。」
懸命に説明を試みますが、無駄な努力である事は自明の理です。
そこへ、この靴を出してくれた例のでかオヤジがすっ飛んできました。すわ、援軍か!?にこやかに彼を迎える僕を見向きもせず、でかオヤジは妻にぴったり寄り添い、ニヤーッとしたいやらしい笑顔を浮かべ、「こんにちは、シニョーラ。私は日本食が大好きです。」と言ってミラノの日本食屋の名前を次々に並べます。「オイシイ、オイシイ」と日本語を交えて。
何なんだ、この助平オヤジは!こっちは欲しい靴にNG出されそうになってんのに!空気を読めよ!
僕の気持ちが通じたか、でかオヤジは我に返ると思い出したように、
「どうですか、その靴は。アレキサンダーの中でも最高級のラインです。」
ああ、やっぱりそうか。二人の凸凹オヤジの雰囲気は相変わらず胡散臭いが、この靴の造りの良さは間違いなさそうだ。
妻の顔色を伺いながら、遂に購入を済ませました。
ANTONYという名前のこのモデル、ラストは67R、箱の素材表記に「GREEN CALF」とあります。ん、「GREEN CALF」??そういえば靴の内側、手書きの文字といい、ソールの金の刻印といい、似てないこともないな・・・。
帰りの列車の中で僕は、すやすや眠る妻を横目にひとり首を捻るのでした。
アレキサンダーの靴→ここ


PICCADILLY (VIGEVANO)
Piazza Ducale, 34
Tel.

ミラノからローカル線でちょっと行ったヴィジェーバノという静かな町にこのお店はあります。
扱うブランドは、イタリア人の富裕層が極めて好むブランド、名前を挙げるなら、バーバリー、ブリオーニ、ダヴェンツァ、チェスターバリー、ブリーニ、チャーチなどです。
僕が行ったときはたまたま店舗改装のための在庫処分セールをやっており、「馬鹿な・・・有り得ない!」というプライスで、各アイテムが放出されていました。
古いチェスターバリーのツイードのJKも気になったのですが、結局ブリオーニのスーツ1着、ダヴェンツァのスーツ2着、ブリーニのシャツ1枚にパーソナリティのタイ3本をまとめ買いしてしまいました。
お店には初老の紳士の写真が飾ってあったので誰かと訪ねると、店の創業者で既に亡くなった私の父よ、と店の女性が教えてくれました。御主人が亡くなって後、お店は未亡人の奥さんと娘さんが切り盛りしてるようでした。
品揃えはいかにもクラシックなスタイルが多く、イタリアでもある一定の年齢以上の人が買いに来るであろう事が分かります。ミラノのショップと明らかに違うのは、トレンドや外国人の顧客を一切意識していないという事です。
スーツならVゾーンが深めの2つボタン、素材は英国調のものが多く、イタリア北部のドメスティックなクラシックスタイルを見る事が出来ます。これに対してミラノの品揃えは、イタリア北部のインターナショナルなクラシックスタイルといえます。ちなみにローマのアンジェロはブリオーニ本来のファンシーなスタイルで、クラシコでもモーダでもない独特のスタイル、ナポリのロンドンハウスはイタリア南部のドメスティックなクラシックスタイルといえるでしょう。
僕が買ったスーツも、ブリオーニにしろダヴェンツァにしろ、決してミラノのダブルネームではお目にかからないスタイルで、むしろ新生チェスターバリーに似たモーダの雰囲気すら漂わせています。
ヴィジェーバノのような街のクラシコのショップで服を買うという事は、トレンドや外国人を全く意識していない、イタリア人のためだけの純粋なクラシコのスタイルを知ることが出来るという店で、僕にも貴重な経験となりました。
ところでダヴェンツァは僕にとっても初物、わくわくしながらミラノに持ち帰りましたが、その仕立ての良さ、流麗なシェイプは、噂に違わず、まごうことなきイタリアを代表するクラシコでした。
ダヴェンツァのスーツ2着→ここ(ハンガーはバーバリーですけど)


ALEXANDER (BRESCIA)
19, VIA GRAMSCI ANTONIO
Tel.03040010

ミラノからヴィチェンツァへ向かう途中のブレーシアという小さくて上品な町にこのお店はあります。
品揃えはクラシコそのもので、ブリオーニに始まり、アットリーニからキトン、ロータやマーロまで、およそクラシコの主なブランドがすべてダブル・ネームで揃っています。
ブレーシアという街はイタリア北部でも有数の裕福な都市で、比較的リッチな人が住んでいる土地ですが、そういった人たちの中でもトップクラスの地元の人だけを相手にしているのがこのお店です。
ところがお店のスタッフは、そのようなところを少しも鼻にかけず、大変気さくで親切な人たちばかりで、そんなスタッフたちの人柄に惹かれ、僕もわざわざミラノから随分足繁く通っています。
買ったアイテムはJKが多いのですが、中でも一番の気に入りはサルトリオのJKです。カシミヤの混じった生地の風合いがよく、なによりサルトリオ独特の少しモーダがかったシェイプがかっこいいんです。
サイズは48ですが、お店の人は「大きすぎます。直した方が良いでしょう。」ということで、袖丈はもちろん、着丈、腰周りも若干詰めて貰うことになりました。
僕がJKを買う場合、必ず肩でサイズを合わせるため、それは48になります。実は48だと袖がどうしても長くなってしまい、仕事着として着た場合、シャツが袖から覗かないことがあるのですが、
@JKそのもののバランスを極力壊したくない(特にアットリーニやサルトリオといった優秀なモデリストがいるブランドの場合)
Aカジュアルシーンで着るケースも多いため、袖丈を詰めるときっちりしすぎて、ニットやコーデュロイのパンツと合わせた時に却っておかしくなる
という理由から、よっぽどでないと袖は詰めないことにしているんです。
サルトリオの場合、たまたま袖がアンフィニッシュだったため、やむを得ず「お直し」を御願いしたら、やれ着丈だ、やれ腰周りだ、とあれよあれよという間に針を打たれてしまいました。
そんなに直したくないんだけど、困ったなー、と思ったのですが、お店の人は自信満々、まぁ、いいか、ということでお任せしました。
1週間後に取りにいって、着てみてびっくり!もともとかっこよかったサルトリオのシェイプがよりかっこよくなっているではありませんか。
よくよく考えれば、袖丈を詰めてバランスが崩れるなら、崩れかかったバランスを出来るだけ元に戻す作業が必要になるんですね。そのためには、詰めた袖の分だけ着丈や腰周りも修正して、可能な限りモデリストが描いていたシェイプに近づけてやる、それが本当の「お直し」で、JK全体の美しさを考えずに部分的な修正で終らせるのは、本当のプロがやる事ではない、そんな事をこのお店のスタッフは僕に気づかせてくれました。
お店のスタッフを完全に信頼した僕は、日本に居る2人の父(実父と義父)のためにタイをセレクトしてもらいました。ついでに僕のも選んでもらったのですが、こちらは完全に「趣味の違い」。やっぱりタイだけは自分の好きなようにさせてもらいました。


ADRIANO & SONS (BRESCIA)
Via 
Tel.

上記のアレキサンダーと同じ並びにあるのがこのお店です。
よくこの両店は、ロケーションも品揃えも似通っている事から、ブレーシアを代表するクラシコの店として並び賞される事が多いのですが、似通っているのはむしろその2つのハード(ロケーションとアイテム)だけで、肝心のソフトは残念ながら似ても似つかないようです。
はっきり言えば、こちらのお店は客あしらいが悪いのです。
最初は僕の偏見かと怪しんだのですが、ブレーシア出身でいまなおここに住んでいる同僚(ちなみに彼の家系はブレーシア有数の貴族)に聞いたところ、彼も全く同じ意見でした。
お店の悪口を言うのが当HPの趣旨ではないので、多くを述べるのはよしますが、どなたかブレーシアに行く奇特な方がいらしたら、2つのお店を訪れて是非その違いを経験されてみてください。
僕は2度と足を踏み入れまいと誓ったので、現状は分かりませんが、或いは今は改善されて素敵な店になっているかもしれませんし。
品揃えは決して悪くありません。


FINOLLO(GENOVA)
Via Roma, 38r
Tel.010562073

ジェノヴァのカミチェリアです。
ジェノヴァという街は港町で、外国人の出入りも多いせいか、どことなく雑然として良くも悪くも刺激に富んだ街です。我々夫婦が訪れたときはちょうどサミットの直前で、あちこちで工事が行われていたため、より雑然とした雰囲気が漂っていました。
このカミチェリア、フィノッロがあるのは、港とは反対の高台、静かな山の手地区です。ジェノヴァきってのブランド通り「ViaRoma」の真ん中に位置し、間口は狭いながらも風格のある店構えです。
お店はリンケさんという御主人とルカさんというアシスタントの方で賄われています。
僕が訪れたときはリンケさんが不在、ルカさんがパソコンに向かってなにやらしかめっ面していました。
ルカさんは体が大きく、なんかフランケンシュタインみたいです。上着の襟がめくれていましたが、気づいていない様子。緊張してお店に入ったものの、このルカさんのどことなく間抜けたキャラクターで、一気にリラックスする事が出来ました。
シャツのオーダーについて話しが聞きたいと言うと、快くたくさんの事を教えてくれました。要約しますと、およそ以下の通りです。

1.シャツは最低1百万リラ(アンナさんの倍です!)から。最初のオーダーだけは最低3枚作る必要がある。
2.日本に42人(細かい!)の顧客が居る。一人一人の型紙を残しているから、日本に居ながらにしてオーダーできる。生地見本を送って選んでもらう。何度もシャツを往復させてサイズの微調整を行う。
3.ミラノでは毎月カラチェニ(フェルディナンド)にて採寸・試着を行っているため、ミラノに住んでいても問題なくオーダーできる。

これで僕のシャツ・オーダー計画は泡と消えました。1百万リラ×3枚=3百万リラ!ミラノでもサルトでスーツが仕立てられる金額です。
それでも無手で帰るのは寂しい、何か僕にでも買えそうなものはないかな・・・。
店を隈なく見ますと、ブリッグとのダブルネームになった革製品や、スメドレーのニットが多く、多分に英国よりの品揃えです。「カミーチャ・ジェノヴェーゼ」と言われるスポーツシャツには一部プレタがあり、こちらは60万リラ強でした。それでも高いな・・・。
そうだ、タイはどうだろう、あの有名なワン・ポイント・タイは?
ここフィノッロにはブルーの無地にワンポイントの刺繍をあしらった有名なタイがあります。エディ・モネッティや他のショップでも同じモチーフのものを見かけますが、元祖はここ。さっそく見せてもらいました。
本当に小さく可愛らしい刺繍が施されたタイがたくさん出てきます。シルクなのにまるでリネンのような、腰と張りのあるしっかりした触感。聞けば、化学染料を一切使わずすべて自然の染料で染め抜いたものだそうです。
僕は、同じ色糸で象の刺繍がされた、「ぱっと見」無地のタイを一本選びました。
ネクタイを選んでいる最中、リンケさんが帰ってきました。
リンケさんは僕に一瞥をくれると、黙ってルカさんのめくれた襟を直します。「何だお前のその襟は、御客様に恥ずかしいじゃないか。」とは言いませんでしたが、その様子はまるで当主が召使を叱り付けるかのようです。リンケさんはルカさんに鏡を差し出し、いつでも鏡に自分を映してみるように、とこれは口に出して言いつけました。
リンケさんはプライド高い厳しいオーナー、ルカさんはおっちょこちょいだけど優しい人、そんな印象です。
帰りしなルカさんが、「日本人で一度に50本オーダーする人がいるよ。名前はテツヤ・イケダだよ。」と言うので、「ああ日本でピッツェリアを開いたそうだよ」と言うとびっくりして、「よろしく伝えてくれ」と言われました。知り合いじゃないのに・・・。

(ミラノの受注会)
夏休みが終わり暫くたった2002年の9月中旬、我が家のポストに一通の手紙が届きました。それはフィノッロからの招待状でした。
フィノッロは毎年、ミラノ・コレクションの時期に合わせて、グランド・ホテル・エ・デ・ミランでシャツとネクタイの受注会を行います。僕もその都度御招待を受けていたのですが、この季節は旅をするにはいい時期で、毎回僕はフィレンツェやローマに居るといった事情で、これまで失礼してきました。
今年は特に予定もなかったので、日曜日の静かな午後に御邪魔してみました。
フィノッロといえばジェノヴァのみならずイタリアを代表する名店ですから、一体どんなVIPが来ているのか緊張気味に訪れたのですが、受注会場は予想に反して狭く、日曜日の中途半端な時間のせいか、会場にも人影はほとんどなく、僕もどことなくほっとしました。先にジェノヴァで求めたタイをして行こうとも考えたのですが、日曜日にタイド・アップは「頑張りすぎ」に映るかなとも思ってノータイにしたのは正解だったようです。
中には見覚えのあるリンケさんの顔がありましたが、僕の相手をしてくれたのは他の女性でした。英語が通じないため、何とかイタリア語で尋ねました。
受注会だけれども私のような個人でも注文できるのか?できます。(やった!)
シャツは幾らか?一枚520ユーロで初回のオーダーは3枚からです。(やっぱり高かった!)
見たところシルクの生地が多いが、ネクタイのオーダーもできるのか?
ペラペラペーラ、ペラ、ペーラ!(イタリア語が雨霰と降ってきます。)
(わ、わ、やばい分からん!)
ネクタイがここにたくさんあるが、ここから買って帰ることは出来るのか?できます。(ほっ・・・・。)
ということで僕はおなじみワンポイント・タイを一本買って翌日もう一度来ることにしました。
というのもこの日は、受注会の模様を写真に収めようと考えていたのに、うっかりカメラを忘れてしまっていたからなのです。聞けば撮影をしても構わないということなので、翌日撮影のためだけに再び来る事を告げて帰りました。
果たして翌日は月曜日、昨日求めたタイを付けてスーツ姿で仕事を終えた僕が再び訪れると、リンケさん、すぐに僕に気が付いてこちらへ来ました。
「おお、今日は大変エレガントですね。タイが良く似合っています。」
と笑顔たっぷりに御世辞を言います。これまでどことなく近寄り難かったリンケさんとの距離が一気に縮まったような気がします。
「今日は頼もしい助っ人が居るんですよ。」
といって僕に紹介してくれたのは、ラフな格好で手にはマックのノートブックを持った青年でした。大変美しい英語で僕に挨拶をしてきたその青年は、リンケさんの御子息、アンドレア・リンケさんでした。
何でも聞いてください、という彼の好意に甘えて僕は昨日の会話でよく分からなかった箇所、「ペラペラペーラ、ペラ、ペーラ!」の箇所について再度質しました。
アンドレアさんの素晴らしい英語が僕に色々と説明をしてくれます。
それで結局、ネクタイは一本からでもオーダーできる事が分かりました。
会場に山積みにされた生地から選んでこしらえて貰ってもいいし、例のワンポイント・タイもオーダーできると言います。僕は特に後者に惹かれました。この場合、自分で図案を考えて、それを熟練の職人さんに刺繍してもらいます。ただ生地を選んで自分のサイズにこしらえてもらうだけならマリネッラでも出来ますが、折角フィノッロでオーダーするのですから、僕は元祖ともいえるワンポイント・タイをオーダーすることにしました。
ワンポイント・タイ用のシルクは他のものとは違います。刺繍を入れてもつれない様に、腰と張りのある独特の生地を使います。
僕は既製ではなかなか見つからない渋い色目のピンクを選びました。横に居た御婦人が私にとても似合うはずだと、世辞を言ってくれます。アンドレアさんの御母堂、すなわち当主リンケさんの奥様でした。フィノッロは最近イタリアでも珍しくなってきた家族経営の形を今でも頑なに守っています。
どんな刺繍をしましょうか?
そうアンドレアさんに聞かれて困ってしまいました。写真を撮るつもりで来ていただけなので全くアイデアがなかったのです。
アンドレアさんはデザイン帳を見せてくれました。そこにはたくさんの可愛らしいモチーフが手書きで描かれています。オリジナルのものもありますが、顧客が自身でデザインした図案もたくさんあるそうです。もしある顧客が気に入ったデザインが、オリジナルのものではなく、別の顧客が考案したものであった場合、フィノッロでは考案者に許可を得た上で受注するそうです。意匠権といったところでしょうか。
あなたの家の紋章など如何ですか?
アンドレアさんが僕に聞いてきます。家紋かぁ。我が家は五三の霧だけど、家紋をそのまま入れたら、なんか冠婚葬祭専用のネクタイのようになってしまうなぁ。まあ色が色だけにそんな使い方はしないにしても、どうせ家紋を入れるならモチーフを生かしてすこしデザインする必要がある。
逡巡していた僕を見てアンドレアさんは、今日は生地だけ決めておいて、図案は後から決めましょう、図案を添付してメールを下さい、それから我々も提案をします、時間をかけて何度でもやり取りをしましょう、といって自身のメールアドレスと携帯電話の番号を教えてくれました。
分かりました、ではそういうことに、と私も了解し、この後用事があったアンドレアさんとお別れしました。
その後は御母堂に相手をして頂きました。写真を撮りたい旨を申し上げると、一応室内に居る客に断りを入れてくれました。
僕は目下図案を思案中です。

受注会の様子→その1(ホテルの案内板)その2(談笑するリンケ氏(中央))その3(シャツのサンプル)

フィノッロ・オリジナルのワンポイント・タイ→ここ


RUSSO UOMO (CAPRI)
Via Federico Serena, 8/10
Tel. 0818388208

カプリじゅうのセレクトショップを牛耳るルッソ・カプリグループの紳士服専門店がここです。
華やかな夏のリゾート、カプリの街の中心にあるこの店は意外に狭く、キトンやアットリーニのほか、ボレッリやフライ、ショートパンツに合わせてカプリを歩くのにぴったりなフェデッリのコットンニットなどが所狭しと並べられています。
お店のスタッフは能天気なおねーちゃんたちで、お客が居ようが居まいがお喋りに余念がありません。
キトンとのダブルネームになったタイを一本だけ買って、早々にお店を出ました。


SARTORIA CAPRESE (CAPRI)
Piazza Umberto T,59
Tel. 0818388219

ルッソ・カプリのうち、紳士服のス・ミズーラ専門店がここです。カプリに着いてフニクラーレで上がっていくと、時計台のある広場に出ます。時計台の向かいにある建物の外付けの階段を上がった2階にあります。
上記のルッソ・ウォモと違って、ここは静かな雰囲気。長期滞在の金持ちが滞在中にシャツやスーツを仕立てるのでしょうか。なんとも贅沢な話です。


Tott & Co. (Dusseldorf - Germany)
Galerie SEVENS
Konigsallee 56
Tel. 02118681735

ドイツというと、HUGO BOSSがあるものの、お洒落とは縁遠い国のように思えます。実際彼らは住宅と車にお金を掛け、食事や衣服には掛けないといいます。
デュッセルドルフは経済都市で、観光すべきものはあまりありません。
ただ、靴好きの間ではちょっと知られた都市だと思います。といいますのも、GDSと呼ばれる世界最大の靴見本市が、ここデュッセルドルフで開催されるからです。
僕も出張の折、週末を使って靴屋めぐりをしてみました。
まず最初の1軒目では、フランスのコードニエ・アングレーゼを見つけることが出来ました。2軒目では、オールデンの珍しいコードヴァンがありました。この辺の展開からしてイタリアとはちょっと違うのですが、遂に3軒目のこの店で「未だ見ぬ強豪」と対面したのです。
この店はSEVENSという近代的なショッピングセンターに入っていて、外観はこじんまりとした普通の靴屋さんです。ところがショウ・ウィンドウから覗くと、あるわあるわ、英・米・伊の名だたるブランドが勢ぞろいです。
そんな名靴に囲まれて、ひときわ異彩を放っている靴を発見しました。どこかで見たことのある独特のフォルム、そうそれは『SCARPE DA UOMO』(伊語版)の著者Lazlo Vass氏の靴ではありませんか。
つい引き込まれるように店内に入り、店員に「イギリスでもイタリアでもなく、ここドイツの最高の靴を見たい」と告げました。店員が持ってきたのはVASSのものではなく、Heinrich Dinkelackerというドイツの会社の靴でした。いわく、「会社はドイツだが、ブダペストで作成しているフルハンドの靴だ」との事。
早速インソールをはじめ、ためつすがめつしてみましたが、なるほど素材は申し分なし、フルハンドというのもあながち誇張じゃないと思えてきました。(まあ、フルハンドの訳ないんですけど。)黒カーフのセミブローグで、ダブルステッチの上におまけの装飾用ステッチを施した、ブランキーニもまっつぁおのが素材とサイズが決め手になって、購入の対象となりました。
この靴、見た目がごつく重戦車のよう、足に馴染ませるまで相当時間が掛かりそうだなと覚悟していたのですが、あにはからんや、最初から物凄く柔らかい履き心地で、びっくりしています。
靴の写真→ここソール(ばっちいです)


BEL (Barcelona - Spain)

ガウディの建物も何軒か並ぶバルセロナきっての目抜き通り、グラシア通りの根元に位置するのがこのお店です。品揃えは完全にクラシコが中心で、靴はグリーンを扱います。
僕は夏冬ともにバーゲン(スペイン語でREBAJAS。レバハと読みます。)の時期に行きましたが、このお店はミラノのカステラーニ同様、決してセールをやりません。
定価で物を買うのは嫌なのですが、初めてバルセロナを訪れた時に記念に買ったのがネルのBDシャツです。薄いブルーの綺麗なシャツで、オリジナルネームですが、恐らくボレッリへの別注品と思われます。
このお店、スペインでは珍しく格調高そうな店構えですが、客あしらいがとてもよく、シャツの袖丈が心配だと言ったら試着をさせてくれました。とてもいいお店です。


Church's (Brussels - Belgium)
Place Stephanie 2
Tel. 02.512.44.30

ブラッセルで買物がしたければ、グラン・プラスのある旧市街ではなく、ワーテルロー大通りからルイーズ通りを抜けてステファニー広場まで歩きましょう。ワーテルローにはクラシコイタリアのアイテムを扱う店がありますが、靴が好きな人には、ルイーズの一大ショッピング・アーケード、ギャラリー・ルイーズがお薦めです。
中には、グレンソンのオンリーショップのほか、クロケットなどを扱う靴のセレクトショップがあったりで、その雰囲気はデュッセルのアーケードに近いものがあります。
アーケードの一番はじ、ステファニー広場への出口のところにチャーチのオンリーショップがあります。
なぜチャーチのオンリーショップを紹介するのか?それには訳があります。
チャーチは御存知、ノーザンプトンの老舗靴メーカーで、イタリアでの知名度もジョン・ロブやエドワード・グリーンとは比較にならないほど高いブランドです。
そんなチャーチがミラノのプラダに買収されたのが2000年。背景には、ルイ・ヴィトンを中心とするブランド・ビジネスのコングロマリット化があったようです。ヴィトンがフランスのベルルッティとイタリアのステファノ・ビィを傘下に収めたのに対し、プラダはイタリア人の「憧れ」チャーチを買収しました。
ここで旧来のチャーチ・ファンを当惑させる事態が起こりました。経営資本が変わっただけならよかったのですが、プラダはそれまでのチャーチの路線を変更すべくてこ入れを始めたのです。送り込まれたのは同じくプラダ傘下の靴ブランド、シルヴァノ・マッツァのデザイナー、シルヴァノ・ソリーニです。彼はプラダ成功の立役者の一人ですから、当然プラダからの信用も厚い訳です。
シルヴァノ・ソリーニはまず靴のスタイル(木型)の変更に着手しました。それまでの英国らしい武骨なデザインは一転、中途半端にロング・ノーズな、なんとも形容しがたいデザインになりました。ミラノのバリーニさんによれば、これは欧州最大のマス・マーケット、ドイツに合わせた木型の変更だそうですが、旧来のファンには賛否両論のようです。
プラダが次に行ったのは、店舗のイメージの変更です。それまでの英国らしい、どちらかというと重厚で暗い店の雰囲気を、洗練されたブティック、明るくて軽い感じの店舗に改装し始めたのです。実際、ミラノにあった雰囲気のある路面店は閉鎖され、今はモンテナポレオーネの近所とガレリアの中に、「これがチャーチ!?」と思わせるようなブティックが灯りを煌々と灯しています。店作りのコンセプトは明らかに「トッズ」を意識しています。
この路線変更の下、新モデルに馴染めない旧来のファンはどうすればよいか?
旧モデルが新たに生産されていない今、僅かに残っているはずの在庫を求めて、ショップを探し歩くほかありません。ミラノにもフィレンツェにもローマにも、まだ数軒ではありますが、旧木型の在庫を持つショップが残っています。
そんな状況下、奇跡のような光景を目の当たりにしたのが、このブラッセルのチャーチです。
最初路面電車の中から遠めにこの店が見えたときは、「ああ、チャーチがあるな、あとで時間があれば覗いてみるか」程度に考えていました。
果たしてぶらぶらしながら店の前に辿り着いてウィンドウを覗いてびっくり!並べられているのは、どれも旧スタイルのものばかりです。見たこともないコンビの靴や、"Appaloosa Collection"と銘打たれたシリーズなど、どれもが逆に新鮮に映ります。
引き込まれるようにお店に入ると、店内には試着用の椅子と若干のアクセサリー、真っ二つに切られた靴のサンプルがあるばかりで、肝心の靴がディスプレイされていません。ただこの店の雰囲気は、間違いなく「プラダ前」のままです。ここは直営店ですから、真っ先にプラダによる手が入っても良さそうなのに、旧態然としたこの雰囲気、僕は思い切って聞いてみました。
「マスタークラス、ありますか?」
マスタークラス・・・・かつて期間限定で生産されていたチャーチのトップレンジで、チャーチの技術の粋を実感できるシリーズです。
実を言うと僕は長い間、チャーチはずっと「食わず嫌い」ならぬ「履かず嫌い」でした。糸が見えているソール、布が使われたインナー、そんなディテールばかりに目が行き、チャーチはチープな靴、グリーンやロブより格下、と決め付けて鼻にもかけなかった訳です。それがノーザンプトンのファクトリーで初めてチャーチを手にして以来、僕の浅はかな偏見は吹っ飛びました。
何しろ歩きやすい、足への馴染みが良い、何よりその武骨な雰囲気がいかにも「働く男の足元」、すっかり僕はチャーチが気に入ってしまいました。そのとき買った靴がマスタークラスだったのです。ミラノに戻って慌ててマスタークラスを探したくだりはミラノ編のイリプランディのところで書きましたが、それ以来マスタークラスはお目にかかることが出来ませんでした。
そのマスタークラスが、ここならあるかも知れない。
「サイズが限られますが、若干残っています。」
おーっ!やっぱりあったか!僕は自分のサイズを告げ、あるだけ在庫を見せてもらいました。それでも僕のサイズは三足のみ。中に気に入った一足がありました。黒のフル・ブローグです。一も二もなく試着をしたら、良かった、足にぴったりだ!気になるお値段を尋ねると、
「ずーっと前からセール価格です。」
えーっ!二度目の驚き!なんだ、この店は!
本場ロンドンのチャーチはほとんど壊滅状態だそうです。プラダがあるイタリアも時間の問題です。なのにこのベルギーは・・・。欧州にはこんな国がまだまだあるのでしょうか?
このお店はチャーチ・ファンの方のために紹介致します。
なお、グラン・プラスに近いヨーロッパ最古のアーケード、ギャラリー・サンチュベールにも直営店がありますが、こちらも実にしぶーい雰囲気です。


トップページへ戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送